久しぶりの更新

しばらくエンジニアの仕事傍ら合間に原稿描いたりしていましたが
4月から別の会社に移り(正確には3月からちょこっとはいってましたが)、時間の余裕が作れそうです
イベントには出ていく方向で

はじめての単行本のときのこと

はじめての単行本を出した時のことはだいぶ忘れているのですが、思い出しながら書いています
その時の編集さんはKさんという方で、成人向系の漫画編集には珍しく、研究熱心なタイプでした

水商売の人に聞くと、ほとんどは特に研修なんてものもなく、いきなり仕事場に放り込まれるそうです
何をやれば受けるかは自分なりに研究したり、AVやらなにやら見て模倣したりして学ぶ
手ぶらのまま適当にやって、人気の出ないまま業界を去る人も多いとか
成人向けの漫画も似たりよったりで、多くの人はそんな感じですし、ぼく自身も納得はしていました

成人向け表現には、そのための学術機関があるでもなく、権威のある人がいたりするわけでもない
正しい知見があるかどうか裏付けるもののない世界ですから、当然といえば当然か、と
一般漫画なら文学部出身の人とか、イラストレーションなら美大出身の人とかが、学歴とか学識として役に立つ
と考えられうるのでしょうが、エロにはそういうのはない

それでも、研究熱心にしてるということは、雰囲気づくりには良い影響があったのではないか、と感じてはいました
Kさんはどちらかというと「やんちゃ」な漫画家を好んでいるようで、ぼくは長い付き合いにはならないだろうな、
と当時考えていました
雑誌の中では、割と前のほうに推されてる感じで、掲載は悪くなさそうでした

残念なことに、単行本を出す冬の時期に、体調がひどく悪くなり、戻らなくなりました
冬の始まりのころに風邪を引くと、その後、春先まで席が止まらなくなるのです
医者に行っても、原因がわからないままでした
これはその3年後に川口にある耳鼻科の先生のところで治してもらうことができました
冬場に発症するアレルギー性鼻炎、とのことでした
春先に収束していたのは花粉症対策の抗アレルギー薬が効いていたためなのだとわかりました

単行本自体は冬に出て、知り合いの評判は良さそうでした
赤字ということはなかったと思いますが、増刷はかからなかったようです

当時は病気の原因がわからないままで、無理をしすぎてたツケが回ってきたのかもしれないので
無理をしないよう、体調を守るようにしなければ、と考えるようになっていました

個人の時代

東方の界隈はとても賑やかでした

当時の即売会は、大抵早い時間に大手に人が群がり、買い物が終わると
さっさと皆帰ってしまうような場所でした
サンクリくらいの規模だと12時くらいにはもう閑散としていて、13時くらいにはどんどんサークルが
帰っていくので空いてるブースがまばらに出来る状況でしたが、
例大祭では殆どのサークルの本は売れていて、嬉しそうにしていました
音屋の人たちの音楽もBGMとして使われていたので、耳の面でも楽しめる空間ができているようでした
東方とついていれば何でも売れるような状態だったのかもしれません
みな明るい顔をしていました
皆が皆お互いに作品を認めて楽しんでいるようでした

当時の編集さんに話したら、「バカバカしくて商業なんてやってられませんね!」と言われてしまいました
自分もこの波にうまく乗れていればもっと良い状況にまで進められたのかもしれませんが、残念なことに次の年の
本で酷い写植ミスをして、それが1種類の本の即売会で売れた分の最大記録になりました
1050部くらいだったと記憶しています

今振り返っても、不思議な状況でした
委託書店が規模を拡大していっていたこと、インターネットの普及で出版社を通さない作品作りが都心部のみにとどまらず
地方にまで届くようになったこと、東方という作品が二次創作をしやすかったこと、漫画やゲーム、アニメの洗礼を受けた人たちの多い世代だったこと
いろいろと理由が重なったのかもしれません
企業に縛られることもなく、クソガキの王様みたいなのの下で働かされることもなく
どこかでいつか自分も自分の創作物でタイプムーンや上海アリスのようになれるのでは、と期待してもいるような
個人の時代の始まりを謳歌してるようでした

東方との出会い

東方との出会いはよく覚えていません
当時タイプムーン関係のIRCチャットの部屋にいたときに誰かが東方の話をしていたのが
知るきっかけだったように思います
「斬れるものはあんまりない」とかだったかな

STG自体は好きだったので買ってプレイすることにしました(下手だけど)
東方妖々夢をクリアまでやって感動していた自分がいました
個人でここまでやってる人がいるんだ、すごい、って
多分、年下なんだろうな
対して自分は一体何してるんだろう…
羨望と、信仰みたいな気持ちが入り混じったものがありました

杜撰な編集者にぶっ壊しレイプを描かされて、関係を絶った後
商業仕事の経路は全て絶たれていたわけではなかったのですが、それでも
凹みに凹んでいた自分は、ほそぼそと好きな二次創作をやってやっていこうと考えていました
実のところ、東方がどれくらいブームだったのかは、その時はよく知りませんでした
(自分はそのあたりのリサーチはもともとかなり弱いのですが)
流行りに乗る気もなかったし、乗ろうとしたところで実際売れないだろう、と考えていました

驚いたことに、一番近い時期のサンクリで幽々子と妖夢のコピー本を出して、行列ができました
次のコミケットSPでは壁サークルになっていました

治験に参加したときのこと

少し脱線する感じになるけど、治験に参加したことについて書きます
治験というのは健康な人に参加してもらって薬の効果を確めるというやつで
謝礼にはなかなかの額がもらえます

アシスタントやめてから、成人向けの商業漫画をはじめてちょっと経つまでお世話になりました
ほとんど何もしなくてもお金がもらえる、といえば美味しそうな話のように聞こえるかと思います
病院で過ごしている間は暇なので絵を描いたり話を考えたりできるな、とはじめは考えていたのですが
高額のものは長期に入院する必要があり、かといって短期だと「これなら、バイトしてたほうが…」という
ほどあまり貰えない感じだったのです
事前検査があり、健康である人を選別するのですが、ハードワークに原稿作業してるとあっさりと落ちてしまいます
結局漫画描きにとってはあまり相性がよくないな、と思い、使わなくなりました

だいたい参加者は暇そうな大学生、20代なかば以降の人はほぼいませんでした
そういった人たちのなかには、テレビのADをやってた人とか、音楽をやっている人とかがいて
ぼくはお仲間みたいな感じで話すようになりました
今はソーシャルな環境があるせいで、異なる業界に人たちと繋がる機会がありますが、当時はそういった人たちは別世界の人で
ひどく新鮮な感じがしました

音楽CDを2枚だしたけど売れなかったらしい人、バンドをやってて結構イケメンでした
バンドといざこざあって別れて、スタジオミュージシャンを目指しはじめた人
オタクで歌手を目指しててアニソンが上手かった人
音楽関係者は多い気がしました

隣のベッドにいた人は少し年上のテレビ業界の人でした
葉加瀬太郎みたいなもじゃもじゃ頭の長身
彼は漫画に関しては詳しくなさそうでしたが、ジブリアニメは好きみたいでした
いつもオーバーアクションで、単身インドで旅行してきたといっていて、病気にかかって死にそうになったことや、
英語の通じない田舎に行って放浪した時もノリだけで乗り切ったこととか、ネタに話していました
音楽やイラストと違い、そっちの世界の人間はスキルが武器ではないので、自分自身をネタにすることを信条にしているようでした

今思えば、彼とはもう少しつながりを持つべきだったのかな、と後悔もあります
漫画はツールやネット環境での情報共有によってハードルがどんどん下がっていっています
技術が武器にならなくなるなら、学ぶべきはこういった人からだろう、と

成人向け漫画の挫折

成人向け漫画を1誌で受けることに不安を覚えていたぼくは別の出版社でも仕事をやるように決めました

編集者はフリーの編集者で、決まったので描いてくれ、という話になりました
レイプモノの専門誌でした
当時はレイプものが流行っていて、そういうものだけを集めた雑誌を作るようでした

嫌な予感がしました
それまで平穏なテーマをベースにゆるい一般向け漫画とエロ漫画を始めていた自分にとっては、おかしな組み合わせのように思いました
一般誌でも、ファンタジーアクションが描きたくて持ち込みしたのにラブコメを描くように誘導された人とかも知っていたので
その類かと思いましたが、何かが違っているようにも感じていました

今でこそはっきりと言えます

エロの読者は急激な方向転換を嫌う

この人には成人向けの編集をやっているけど、「エロの知見」がないのだろうか?
いつも自分のコネのことばかり話している
一般の人気作家の上京を手伝ったとか、ナントカさんと知り合いだとか
その割に、「今の若い人の流行はさっぱりでしてね」とか言ってる

ラブコメを担当している編集者はラブコメに詳しく、スポーツ漫画を担当している編集者はスポーツ漫画に詳しい
それまでつきあいのあったゲームアンソロの編集をしている人とても、少なからず二次創作がどういうものか知っていると認識していましたが
この人は違う、と感じました

ぶっこわしレイプはぼく自身嫌いでした
しかし、そのことよりもイメージ作りってものを蔑ろにしている点がずっと心を痛めました
これまで、少ないだろうけど、ぼくの作品を気に入って応援する気になってくれていた人に対してどう顔向けする?、と
それでも3本描き、その後は「貴方とは仕事はしない」と言って自分から関係を切りました

後で知ったことですが、その編集者は以前はグラビアの仕事をしており、その後はまた成人向け漫画とは別の編集業へと
移っていました

編集者は担当しているジャンルに知見があるとは限らない

ちょっと考えればあたりまえのことでした
クソガキの王様みたいな漫画家と同様、資格もなければ権威も学術的研究もされていない世界なのですから
誰でもなることができるということは、その人にとっては夢でも、共に仕事をする人間には大きなリスクとなりうる

編集者が原稿を受け取らない、といえばそれは本には載りません
そういう絶対的な権力がある
にも関わらず、その編集者が知見をもっているとは限らない

できるだけ早い段階で、資質を見抜く必要がある、と考え、
スパムフィルタのようなチェック機構を自分の中に作るようにしました
結局その後10年、そのフィルタが発動することはなかったのですが、ともかくもそれをきっかけに自分の中には
ひとつの安心感ができているようでした

しかし、一般漫画づくりに対しても、成人向け漫画づくりに対しても
その時の自分は完全に凹んでいて道を見失っていました

これからどうすればいいのだろう?

エロ漫画家をはじめる

携帯電話のデータ入力のバイトの期間が終わる頃、同人誌即売会でTくんと出会いました
彼は過去には大学時代に同人誌活動をして、一時期は壁サークルまでいったのですが、その時は衰退しているようでした
ジャンルはラグナロクオンラインでした
彼は絵が上手かったのですが、ギャルゲーベースの絵柄がファンタジーとはあまりマッチしていないようで、
組み合わせのミスマッチのせいか、少し古くさい絵柄のようになってしまっているように見えました
同人にはもうあまり興味がなく、一般漫画をめざしているそうでした
ぼくは彼のことがそれほど好きではなかったのですが、ぼくの経歴を知ると、いろいろと情報を引き出そうとしてきました
仕事が欲しければ、成人向けでよければ編集者を紹介する、と言ってきました

なるほど、アニメ化した作品づくりの職場がどんなだったかの情報と、(彼はもうエロに興味がなかったらしく)成人向けの漫画編集者の紹介の交換か
少しひっかかりましたが、そんなルートもあるんだな、と思いました

ぼく自身、同人誌を作ってこそいましたが、商業漫画のエロをやるのはあまり気がのっていませんでした
当時のエロ漫画はまだいまほど洗練されておらず、女のキャラクターが脱いだりセックスしたりしていても
読者を興奮させることをやれていない作品が多数でした
読者を魅了し、誘惑し、エレクトさせ、セックスを疑似体験させて射精までさせる
それをやるには何が必要で、何を学ばなければならないか、確立したものはほとんどなく、商業作家でもできている人はごくわずか
しかし、それがやれる人は余裕で家が買えるくらいには儲けているのもわかりました
シナリオの技術も、作画のクオリティも関係はあまりない、というのも見てわかりました

そのやり方が自分にはない、というのははっきりとわかっていました
編集者から学べるのだろうか?残念ながら担当の人は何も持っていませんでした
最もそれを持っていたと確信がもてたのは同世代の成人向け漫画家でMくんで、彼のところで2日ほど手伝いをしましたが
理論だったものはなにも得られませんでした

ほとんど徒手空拳のまま、商業誌の成人向け漫画をはじめましたが、みるみるうちに掲載順位は落ちていき、編集者とは仲が悪くなって仕事は終わりになりました

再びお金を貯める

アシ生活を離れた後、ぼくは道を失っていました
やんちゃにしているほうが視線が集まるのはわかる
それは漫画に限らず、アート全般の法則だろう
編集者に気に入られ、書店担当者に気に入られ、(同人誌なら)即売会のスタッフに気に入られ押し上げられて人気者になったとして
でも、その人が人を雇い扱う術をもっている保証はない
ただ力技で勝ち(それは実力ってやつですらないかもしれない)、相手を奴隷として取得するだけの古典的な戦争のような世界
そこはアスリートの競争の世界ではなかったし、ビジネスの世界でもなかった
殆どの漫画家が歳をとるとあっさり衰える理由がわかる気がしました
自分はそこに居たいのか、そうまでして描きたいものが自分にあるのか、答えがでそうにはありませんでした

作画にクオリティを出す術を身につけることが目的の一つだったけれど、持ち込みをするためになにか漫画を描く気も失っていました
漫画にたいする憧れもなくなっていたし、漫画家の言葉は信じてはいけないな、と思うようにもなっていました

お金を貯めなおす間に、どうするか、答えを探そう、ひとまずそう結論づけることにしました

今度は、古本屋のバイトと違って、ガッツリ短期で稼げるところを探そうと考え、深夜の清掃バイトを選びました
このバイトはいわゆるブラックバイトでした
月に30万ちょっとずつ貯められれば、3ヶ月で100万にはなる、そう考えていたけど
移動時間は仕事の時間に含まない、とか客からクレームが入ったら自費で再清掃に行かなければならない、とか
普通は夜に2件行くところを3件も4件も5件も回っていたりとか言う風になっていました
現場は茨城とか群馬のケースもあり、朝のラッシュに巻き込まれると1日に5時間が無駄になりました
夕方に始まることもあれば、深夜ギリギリにはじまることもあり、終わる時間も早朝もあれば昼をまわっていることも
計算したら、結局月に25万くらいにしかなっていませんでした
最悪なのは薬品で、外壁などを洗うものはうっかり手にかかるとやけどみたいになってひどいことなりました
その時期はアンソロの原稿を受けていたので、やけどみたいになった手でペン入れすると激痛がはしったが我慢して描くことにしました
深夜の労働は生活のリズムにも良くないようでした

バイトの面々は、日本語が全く喋れない外国人や家のないおじさん、そしてバンドマン
バンドマンたちはどうやら知り合いらしく、そのバイトの職場は彼らによって占領されているようでした
社員もいたけど、ほとんど空気だった
軽のバンで移動するのだけど、遅刻してきている仲間がいると、その人の家の前まで行って起こして拾っていったりしていました
二人くらいがリーダー格っぽい人がいて、その一人のバンドは人気があるようでした
仕事もできて、バンドも人気があって、彼は成功しているという風に仲間には評価されていました
もう一人のほうは清掃の仕事に詳しく、何かあれば彼に聞け、と言われるくらいだったけど、バンドについては何も語りませんでした
彼は屁を我慢できないらしく、いつも屁をしていました

このままでは不味い、と思ったので、別のバイトに応募しました
携帯電話のデータ入力で、月に20万くらいにしかならなかったけど、生活時間は安定していて仕事もとても楽でした
シフトも驚くほど柔軟で、1日に3時間とかでもいいし、1ヶ月に3日出勤とかもOKでした
仕事場はほとんどが女性が占めていて、人間関係が広がらなかったが、逆にそれが楽でもあった
週5でシフトを入れて同人誌の原稿とアンソロの原稿を家に帰って描き続けました

アシ生活

アシスタントの生活は、ぼくの人生にとっては最も呪われた時間でした

社会人経験もバイトの経験もないというその漫画家の職場、
チームのといってもそれは部活動のそれ
部活と違うのは徹夜や長時間労働があること、
もっとも、当の漫画家本人は月に20から40ページの漫画の
ネームと下絵をしたらあとはアシ任せで悠々自適にあそんでいました

漫画を描く人が、たとえ寝不足でも体を壊しても、社会的立場もお金もなくても無理をして描くのは、それが自分の作品だからでしょう
単なる「安く働ける労働者」ではありません
「漫画は集金装置」と豪語するその人が、ほとんど体も動かさず、安く働かせるにはスジが通っているようには、
自分にはどうしても考えられませんでした
何がしかの信念があれば、また違ったのかもしれません

職場の人が次々と離れてき、また補充されているのがわかりました
普通の職場なら、それでまともに働く人がいなくなるやもしれません
しかし、編集者がせっせと志望者という名の労働者を補充するので、省みることもないのだろうと思いました
もしこの流れが切れる時が来るとしたら、それは作品の人気が無くなったときなのだ、これがルールなのだ、と理解しました

その職場の、漫画家はクソガキの王様で、アシスタントはクソガキの王様の奴隷でした

ぼくの目にはずっと、彼がゲーム・オブ・スローンズに登場する、ジョフリー王のようにみえていました
漫画を仕事にする上で、最も恐ろしいのは、読者の目でも、編集者のリテイクでもなく、無法な漫画家の下で働くという状況なのだということを知ったのでした
全ての漫画家が彼のようだとは思いません、しかし、少数派だとも、やはり思えませんでした

合間に継続していたゲームアンソロの仕事も入れていましたが、1年半とすぎる頃には、貯金が尽きかけていました
職場を去る頃に、治験というのに参加して所持金を補充しました
アシスタントをしている時期の間に、祖父が死ぬとの連絡が実家からあったのですが、戻ることはかないませんでした
自分は当時、漫画家になるため縁を切って出てきたのですが連絡だけは一方的に送られていました